■“AIR”を見終わって……

野田「今日は管理人のみで何かのアニメの感想とか何とか書くらしい。原作をプレイしてない(と言うよりまだ買えない)ので甘いところが多いとは思うがそこは多めに見てほしい」

今日は“AIR”の7話〜最終話まで観ました。

まあ、なんだ。ラストの少年と少女は観鈴と往人の転生後の姿、と言うことだろう。最終的には美鈴も往人もこの世から姿を消すが、これは彼らにとって幸せな終わり方だったのだろうか?

往人→そら→少年と彼は姿を変えるがなぜ少年は最終話で「彼らには過酷な日々を、そして僕らには始まりを」と言ったのだろうか? 
なぜ彼はその一言を口にできた(おそらく自分の意志では無いのだろうが)のか? 
「彼ら」は往人や観鈴など困難が待ち受ける者たちのことだが、「僕ら」とはこの二人だけだろうか? そして、彼らの始まりとはどこなのだろうか? 

ああ、“Why?”ばかりだ。まあ、いくつか言える決定的なことは

・“AIR”は既に娯楽的作品の範疇にとどまるものでは無い
と言うことだろうか。

この作品では、人の「死」が多く含まれているが、それはおそらく「始まり」なのだろう。観鈴は、「わたし…がんばったよね…もう・・・ゴールしてもいいよね・・・?」と「ゴール」してしまったがそれもこの作品にとっては「始まり」なのではないだろうか。「終わり」→「始まり」と言ったところか。

空は人間の行けない場所であり、自分たち人間には手の届かないところだ。誰もが一度は空に思いをはせる。でも、その願いは届かない。もし届いたとしても、代償として大き過ぎる何かを失ってしまうのだろう。もしかしたら、それは僕たちにとっての「幸せな記憶」かもしれない。「幸せな記憶」と「空への憧れ」のどちらを捨てるかと言ったら、もう答えは明白だろう。結局、空は僕たちには大き過ぎるところなのだ。

彼らは一生を懸命に生きた。しかし、自分はどうであろうか? どこかに余力を残して、余裕を持って生きてはいないだろうか? 自分も観鈴や往人の様に懸命に一生を生きる必要があるのではないだろうか?→いや、その必要はない。大体からこんな教訓めいた事を言い聞かせるのは自分と知っては納得がいかない。自分には当ブログのタイトルにもあるように「傍観者として生きよ」と言う生きていくためのおおよその指針がこれ以外にも存在する。いい作品はさまざまな媒体(本、テレビドラマ、マンガ、そして“AIR”の様な成人向けゲームを基盤としたアニメ)に存在し、その影響力は平等だと自分は考えている。決してアニメからは何も得られない、本でしか立派な思想は得られない、などとは思っていない。彼らは彼ららしく生きた。しかし、自分は自分の生き方がある。


まあこんなところだろうか。あとはなんだかいろいろと。

Q,正直、泣きましたか?
A,5話と最終話はかなり危なかった。でも泣かなかった。

Q,お気に入りキャラは?
A,正直言って、ほぼ全員です。

今日はこれくらいで。でも後日またいろいろと書くかも知れません。


 
 




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nobidora

Author:nobidora
年齢 高1
居住地  北関東の西端の県の東端
職業 某県立男子高生 (Mの方です)
趣味 文書き 人間観察
座右の銘  人生を賭けるに値するのは、夢だけだと思いませんか?
不定期になんか書きます
「適応障害」と「過敏性腸症候群」です
理解がないのが苦しいです

まぁ、とんでもないことを書くこともありますが
大目に見てやってください





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